フジワラ セブン モノがたり

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一年で100の大学をまわって思う事

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ぼくはこれまで

一年間で全国の100近くの大学にて

講義を行ったり、日本各地の大学生と交流してきました。中にはすでに社会人になって活躍している方もおられます。

いくつかの出会いや大学を訪問して感じた事を

語ります。

 

1.学内でそもそも歩きスマホなんてしない

いろいろ周る大学の中で、講義が始まる前に学生さんの席に行き、話しかけますがその時に

スマホでゲームをしていたり、寝そべっている学生もたまに見かけます。

たいていそのような学校は学生さんの態度も芳しくない印象です。

学内でも教室から教室の移動中も歩きスマホをしている。

逆に講義の中での学生さんの反応もよく、講義が始まる前に声をかけても、返事がよかったり、気さくに話しかけてくる学生さんがいる学校では、そもそも歩きスマホをしている人は見かけません。

本を読んでいたり、同じスマホの使い方でもゲームとは違う用途で画面を見ています。

 

2.  90分の講義を聴くことができない

ぼくの講義は90分。

聴いている学生さんが飽きないように

90分を3つ、もしくは4つの章に分けて

30分、また25分くらいのユニットで話題を変えるようにしています。

なるべく眠くならないよう、教壇では話さずに教室中をグルグルまわっています。

こうした工夫をしても、最初から寝てしまう学生、そもそも話が聴けない学生がいることは至極残念です。

よく成人式になると、かならずニュースで式典で大暴れして追い出される、光景を見ますがあれと同じ。ジッとできない、人の話を聴いて理解、咀嚼ができない。

だから

質問をなげかけても、こちらが質問を言い終わる前に

『分かりません!』と言い切る学生もいます。

分かりませんといえば、答えなくていい、考えなくていいと思っているのでしょう。ある意味 話が理解できない、聴けないのはかわいそうにも感じます。学ぶ意味や楽しさが分からないのは本当につらいです。

 

3. 大学の先生の役割

大学をまわっていると教職員の方々も必死なのだと分かる事があります。

それはここ数年、学生の生活指導も大学の教職員が行わなくてはいけないと。

本来、研究や論文をまとめたくて大学にいるのに、なぜ学生を指導しなくてはいけないのかという先生もいるとか。

確かに高校までの先生と違って、大学の先生はどちらかといえば教育者というより研究者とての比重は大きいと思います。

実際、どのように指導してよいのか困り果てる大学の先生のお悩みもよくうかがいました。

 

4. 自分で気づくしかない

よく社会出たら、必ず一度は口にするのが

『学生時代、もっと勉強しておけばよかった』

との思い。

これはぼくも何度も思いました。

だけど仮に、仮にも何かのはずみでタイムスリップしたり、若返りしても多分、

遊んでますよ 笑

ぼくなら遊んでます。

だから大人になってもさらに勉強だよ、と自戒も込めて学生さんには語っています。

そして大学までが分厚い本や教養書を読めるベース作りの最適な期間だと。

でも、これは自分で気づくしかないとも

思います。

 

もしも就活中の学生さん、悩める学生さんなどおられたらコメントもお待ちしております。

共に悩みながら社会でがんばりましょう